花火大会 当日

 最近錆兎の様子がおかしい。
 冨岡に聞いても困ったような顔をするだけだったらしく、真菰は困り果てていた。
 花火大会は鱗滝夫妻に浴衣を着付けてもらい、今は冨岡と錆兎が露店で食べ物を買いに行き、真菰と二人で土手に腰を下ろして待っている最中だった。
「義勇がしのぶちゃんを可愛いって言うからつられてるんだ……」
「そんなに言われてませんけど!」
「顔が言ってるよ。物凄く」
 焦って声を荒げたしのぶを無視して真菰は膝に顔を埋めた。しのぶが照れると真菰は喜んでしまうので、姿勢はそのままでいてもらいたい。
「義勇はね、しのぶちゃんが大好きなんだよ。だからしのぶちゃんのこと良く見てるよ。今日も浴衣可愛いってびっくりするくらい顔が、」
「私の話は良いですから。錆兎さんは思ったことは口にする人じゃないんですか?」
「そうだけど何か違うんだよねえ。前より褒めてくるようになったような」
 真菰の浴衣姿を見た錆兎は、真っ直ぐ真菰の顔を見て可愛いと口にした。これが少しでも照れていたならば、ついにそういう気持ちが芽生えたのだろうかと期待するところだが、生憎錆兎に照れた表情は見えなかった。
「嫌ですか?」
「嫌じゃないよ。嬉しいけど、なんかそわそわする」
 困惑しつつも真菰の頬が少し色づいていた。珍しい表情をする真菰にしのぶも笑みを零す。
 だってそれは、始まりの合図のようなものだと思うのだ。
 勿論その手のことには初心者であるしのぶがそう感じただけで、遍歴の多い者が聞けば答えは違うのかもしれない。だがそれがきっかけになることだってあるだろう。しのぶだって冨岡と出会ったばかりの頃はこんなふうにお付き合いをすることになるとは思ってもいなかった。自覚しているきっかけはそわそわどころではなかったけれど。
「二人で花火見に来たの?」
「きみらめっちゃ可愛いよね。凄い綺麗に花火見えるとこ知ってるんだけど、一緒に見ない?」
 数人の男性が声を掛けてきた。見たところ年上だろう。声を掛けた一人のすぐ後ろで二人が、しのぶと真菰を見て何かを呟き合っている。
 真菰と二人で話したくて冨岡と錆兎に行ってもらったのだが、こんな人の多いところでするものではなかった。付き纏う男が去って気を抜いてしまっていた。しのぶは久しぶりにナンパに合ったが、真菰はずっと冨岡たちと一緒にいたせいかナンパに慣れていないようで、驚いて彼らに答えてしまう。
「人待ってるから良いよ。ごめんね」
 謝らなくて良いのに、真菰は人が良い。しのぶはむっとしながらナンパ男たちを見た。無視するつもりだったのだが、男が食いついてしまった。
「一緒に来れば良いじゃん。拓けたとこだから大勢いられるよ」
「つうか俺きみみたいな子めっちゃタイプ。可愛いよね、待ってるの友達?」
 真菰を見て積極的に口説いてくるナンパ男に、真菰は困惑した表情を見せた。何と返せば良いのかわからないようで、しのぶにちらりと視線を向けた。
「彼氏を待ってますのですみません」
「えーほんとに彼氏? 最初は何も言わなかったのに」
「まあまあ、ほんとに綺麗に見えるからさ、きみのいう彼氏も来たら一緒に行こうよ」
 後ろにいた二人が疑いの目を向けてくる。何なら煽っているようにも感じてしまう。しのぶは嘘を言っていないが、ナンパした側としては疑わしいようだ。しのぶの手首を掴んで無理やり移動しようとする。
「結構です!」
 掴んできた手を背中側へと捻り上げた。驚いて悲鳴を上げた男がそのまま地面に倒れ込む。
 思わずしのぶは目を瞬いた。今まで習ってきた合気道がきちんと実践で役に立ったのは初めてで、真菰へ顔を向けてついはしゃいでしまった。
「真菰さん! うまく行きました!」
「わあ、しのぶちゃん凄い! こんな短期間で実践できるなんて」
 しのぶが押さえ込んでいる男は状況が理解できないらしく、え、と困惑したまま動かない。唖然とした残りの二人は固まっている。
「悪い、待たせた。かなり混んでて……何事だ?」
 タイミングが良いのか悪いのか、冨岡たちがちょうど戻って来た。しのぶと真菰の顔を見て、押さえ込んでいる男とそばにいる男たちを眺めた。
「あっ。戻って来ましたので離しますね。私たちはここで花火を見ますから」
 捻った腕を離し、冨岡のそばに近寄った。呆然としたまま立ち上がった男は一言凄いね、とだけ呟いて、あとの二人を連れて去って行った。
「ごめんねえ」
 だから、謝らなくて良いと思うのだが。真菰はやっぱり人が良かった。
「ナンパですよ。うまく技が決まったところを見てほしかったですね」
「綺麗に決まっていた」
「そうでしょう! 良い加減冨岡さんも技にかかってくださいね」
 そう言うと冨岡は黙り込んだ。未だにしのぶの技の稽古は倒れてくれない。冨岡たちが見たのは押さえ込んだところだけのようだが、お褒めの言葉を貰ったので今日のところは良しとしておこう。
「ナンパ……無事だったから良かったが」
「私初めてだよ。しのぶちゃんが可愛くて目立つからだね」
「ええ? 真菰さんは可愛いですよ。真菰さんが今までナンパに合わなかったのは錆兎さんと冨岡さんのおかげでしょう」
「そうなの?」
「男の子が一緒だと基本的にナンパはされませんから」
 へえ。真菰が感心したような声を漏らした。知らず知らずのうちに真菰を守る形になっていたのだ。
「可愛いかあ。さっきの人が言ってたけど、錆兎に言われるより嬉しいとは思わなかったなあ」
「なっ、俺は見ず知らずの人間と比べられるような位置付けなのか」
「違うよ錆兎、そうじゃなくてさ」
 何も言えずに二人を眺めるだけになってしまったが、しのぶは二人のやり取りに大層驚いた。
「錆兎に言われるのが一番嬉しいよ」
 恥ずかしいけどね。そう言ってビニール袋を覗き込む。
 こんなことを言われたら、どんな人だって照れてしまうとしのぶは思うけれど、幼馴染だと違うのだろうか。ちらりと錆兎の顔色を窺うと、目を丸くして真菰を見ていた。目元を少し赤くして。
 あらあらこれは。ひょっとしてひょっとするのだろうか。二人から今までそんな雰囲気など感じたことはなかったが、ずっと一緒にいた冨岡はしのぶとは別のことを感じているかもしれない。照れてるんでしょうか、と二人に聞こえないよう呟いた。
「二人とも特別だと思ってる」
 ちらりと冨岡へ視線を向けると、二人を眺めながらひっそりと告げた。二人には聞こえないように知ってますよと口にすると、冨岡は首を振った。
「錆兎は頑固だから、一度言ったことは曲げない。だが正直でもあるから思ったことを口にする」
「………? ええ、分かります」
「人間だから気持ちが変化することもある。それに気づいてないだけだ」
 しのぶが恋を知ったから、些細なことでもそちらへ結びつけるようになってしまったのかもしれない。そう考えたこともあったが、どうしても勘違いとは思えなかった。冨岡が何を言いたいのかを考える。しのぶの期待する変化が起こっているのだろうか。それを冨岡は感じ取ったのだろうか。
「変化してきてるんですか。二人とも?」
「……聞き返されると断言はできないが」
 幼馴染である冨岡が言うのだから、二人の間に以前と違う何かがあることは間違いないのだろう。それに気づいていないだけ。しのぶは真菰が照れている姿を思い出していた。
「そうですか。真菰さんみたいな可愛い幼馴染がいたら他に目移りできそうもないですしね。友達から気持ちが変化したって納得しかないです」
「………」
「錆兎さんの話ですよ。冨岡さんも真菰さんが初恋だったのかも知れませんけど」
「初恋……」
 そういえばそんな話は一度もしたことがなかった気がした。真菰がそばにいたら彼女が初恋の相手になるのは当然のように思えるし、むしろ真菰でなければ誰だったのだという話だ。恋に発展せずしのぶと出会ってくれたことを有難く思わなければならない。真菰が冨岡の想い人だったならば、勝てる要素など一つも見当たらないのだから。
「初恋とは普通の恋愛とは違うのか?」
「え? さあ……初めてというだけで同じだと思いますけど」
「だったら真菰じゃない」
「え」
 予想外の言葉に驚いて冨岡の顔を凝視した。既に土手に腰を下ろしている二人のそばへ寄り、錆兎の隣で立ち止まる。
「ちょっと、どういうことですか? 真菰さん以外に誰がいるんです」
「えっ、私? 何?」
「一人しかいない」
「その話詳しく聞かせてくださいよ」
「何の話だ?」
 しのぶの慌てた声に反応した二人が振り向いた。露店で購入した食べ物を差し出してくるまま受け取るが、食べ物よりも冨岡の話が気になって仕方ない。
「初恋の話をしていた」
「また急だな。それで相手が真菰だと?」
 あ、言っちゃうんですね。しのぶからすれば話の流れで初恋の話になっただけだが、錆兎からすれば少々突然だったようだ。
「真菰じゃないと言ったんだ」
「……ああ、そりゃそうだね」
 思わせぶりに真菰が頷き、意味深に錆兎へ笑みを向ける。アイコンタクトで何かを察した錆兎が納得したように冨岡を見た。
 もうすぐ花火の打ち上がる時間だ。音も大きく、鑑賞している間に話は聞けそうもないだろう。聞き出したかったが今はお預けにする他なかった。
「あとでちゃんと教えてくださいね」
「……胡蝶の初恋の話もするのか?」
「えっ? 私は……どうでしょうね、言うほどのものでもないといいますか」
「しないなら言わない」
 自分だけ言わされるのが納得いかないのか、冨岡は交換条件を付けてきた。真菰以外に冨岡が好きになる女の子など考えたこともなかったせいで、少々食いつきすぎてしまったかもしれないが、気になるのだから仕方ない。
 しのぶの初恋こそ聞く必要もないだろう。初めての恋で初恋ならば、冨岡がその相手になるのだから。
 花火の打ち上がる音が聞こえ、四人同時に空を見上げる。破裂音とともに色とりどりの光が夜空へ広がった。

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