自覚 錆兎

 最近、真菰の周りが輝いて見える時がある。
 夜だろうが雨の日だろうが、突然見える時があるのだ。毎回ではなく何かの拍子に現れるきらきらした空気。一体何だというのだろうか。目がおかしくなったのかと錆兎は少々不安になったのだが、それが見えて嫌な気分になることはなかった。むしろもっと見ていたいと思っていることに気がついた。
 義勇に聞くと空気が輝くさまを見たことはあると答えたが、それは真菰の周りではなかったそうだ。じゃあどんな時に見えたのかと聞いたのだが、困った顔をしただけで答えてくれはしなかった。
 言わないのか言えないのか、義勇の顔を見ても判別はつかなかった。ただ錆兎にはもう少し考えたら分かるとだけ口にした。語尾にたぶんと呟いて。
 義勇は嘘を吐かない。吐かないが、今回ばかりは言葉の含みを想像しきることができなかった。
「受験に合格したら俺と付き合ってほしい」
 今なら言いたいことは全て文字に落とし込むことができたけれど、聞いてしまったその瞬間は、頭を働かせることができなかった。
 真菰がモテることくらい知っている。一緒にい過ぎて邪魔だと言われて嫌な気分になった経緯があった。真菰が女子に言われてきたこととほぼ同じことを言ってきたのだと思う。男なら誰がいようと告白するくらいの気概を見せろ。言われる度にそう憤ってきたものだ。男らしく錆兎のいる前で真菰に告白する者も現れたことがあるが、その時だってこんな気持ちにはならなかった。
 受験に合格したら。
 付き合う。
 早く来すぎた予備校の空き室で、先に行っていた真菰を見つけて近寄ろうとした。普段と違う雰囲気を感じて思わず廊下の壁に隠れたのだが、聞こえてきた言葉に錆兎は固まった。
「ご、ごめん。私あなたのこと良く知らないし……」
「いつも仲良い男子とは付き合ってないんだよな?」
「錆兎のこと? そりゃ友達だけど」
「好きな人がいないなら、考えてみてほしいんだ。受験前に悩ませるようなこと言ってごめん。でも俺本気できみのことが好きで」
「う、うーん」
 宇髄からは鈍いだの何だのと揶揄われることはあったが、さすがにこの場に脳天気に入っていくことはできないことくらい分かっている。だが真菰が普段見せない困惑を見せている。
 言葉を聞いているだけでも良い奴そうであることは伝わった。真菰を気遣いながらも己の想いを口にして、答えを急かすわけではなく、少しばかりの猶予を与えている。
「……やっぱ、あいつのことが好きなの? 他の奴より仲良さそうだし」
「錆兎は幼馴染だし、普通だよ」
「……そっか。良くわかった。ありがとな、時間取ってくれて」
「え? あ、ううん」
 忘れてくれと口にした男子生徒に、真菰は呆けたように頷いた。何がわかったというのだろうか。
「錆兎って言ったっけ。自覚はないけど意識してるよな、あの男子のこと。だって仲良いと思ったのあいつだけじゃないし。もう一人いるじゃん、無表情な奴」
 義勇のことだ。予備校には義勇も一緒に通っている。お前ら少しでも離れたら爆発でもするの、と顔を顰めて宇髄が言った言葉が脳裏に過る。
「そ、そんなことは。義勇は付き合ってる子がいるから」
「彼女がいるとかは関係なくない? 好きになった人が誰かと付き合ってたとかも良くあるじゃん。意識しないようにするとか俺には無理だし」
 心臓がざわざわと落ち着かない。彼の言葉を聞きながら、錆兎はじっと考えていた。
「別にきみらがどうなろうと俺は良いんだけどさ。もう脈なしなのは分かったし、困らせるつもりはないんだ。受験頑張ろうな」
「……うん」
 爽やかに口にして男子生徒は錆兎の潜む廊下の反対側へと去っていった。
 言いたいことを言い、後腐れなく笑っていたように見えた。告白の返事に気落ちしてはいるだろうが、それを見せない様子は錆兎の目から見ても好ましい。きっと普通に話をしたら、錆兎も彼に好感を持っていただろう。
 どうすべきかと悩んだが、普段のとおり接するならば真菰に声をかけないわけにもいかない。ほんの少し緊張しながら錆兎は教室へ足を踏み入れた。
「真菰」
「! さ、錆兎」
 少し俯いていた真菰が錆兎の声に弾かれたように振り向いた。色づいていた頬が錆兎の顔を見て更に赤くなっていく。聞いていたことをバレないようにと考えていたことが頭から吹き飛んだ。
 時折見えるきらきらした空気は、今も真菰の周りを陣取っている。
 真菰の周りには見なかったと言った義勇が、この空気をどんな時に見たのか唐突に思い至る。
 目の前の真菰を見つめながら、錆兎がずっと真菰を特別可愛いと感じていた理由をようやく理解した。

*

「大丈夫か錆兎」
「……あんまり」
 だってそうだろう。一生の友達だと思っていた相手をそういう意味で好きになった。今更ながら気づいた錆兎とて認めないわけにはいかない。
 認めてしまえば錆兎は納得するほかなかった。そもそも真菰以外の女子とは義勇同様にあまり深く関わって来なかったため、真菰を好きになることにおかしなことは何一つないのだろう。だが。だがしかしだ。
 好きなのかどうなのかと問い詰められ揶揄われ、周りの邪推にうんざりしていたのだ。なのにこれでは、邪推だと退けてきた彼らの言葉が正しかったことになる。
 そりゃあ当時は友達だと感じていたのだから仕方がないものの、気持ちが変わることがあるということにも錆兎は戸惑っていた。真菰は昔から可愛いけれど、最近とみに可愛く見えるわけで。意識が変わったとはいえ、それだけで見え方も変わるのかと驚いたのだ。それから。
「男女の友情なんてなかったんじゃないか」
 子供だったとはいえ、偏見だと突っぱねて来た男女の友情というものが、錆兎自身でなかったと証明してしまった。どれだけ節穴だったのかと頭を抱えてしまう。
「そんなことはない」
 義勇を見上げた己は情けない顔をしていただろうと思う。慰めを口にした義勇に錆兎は苦笑いを漏らした。
「良いんだ義勇。俺が鈍感で朴念仁で阿呆だっただけだから」
「そ、そこまで……いや違う。男女の友情は証明できる」
「俺もこれからは男女の友情はない派に鞍替えしなければならないな……」
「聞いてくれ錆兎、俺が証明できる。真菰とはずっと友達だ」
 瞬きをして義勇の顔を見た。深い青にも見える目が錆兎を見つめている。
 確かに良く考えたら、義勇は最初から今まで真菰を友達以外に見たことがないはずだった。初恋すら真菰ではないと言っていた。その相手を錆兎は知っていた。義勇が特別可愛いと思う相手は別にいる。
「だから錆兎は大丈夫だ」
「……何だそれ」
 ふふん、と鼻を鳴らして自信に満ちた顔を向ける義勇を眺め、錆兎は呆れたような笑みを見せた。
 話すのが得意ではないくせに、錆兎を慰めようと義勇は妙な持論を口にした。義勇が真菰と友達であれば錆兎が真菰に恋をしても問題はなく、男女の友情は成立するらしい。
「そうかあ」
「ああ。だから錆兎は存分に真菰を好きになれば良い」
 何だか悩んでいるのが馬鹿らしくなり、錆兎は声を上げて笑った。
 恋だなんだと悩んでいる時間もない上に、そもそもうだうだと悩むことは性分に合わない。義勇は錆兎をはっきりとした性格の好青年のように思っている節があるが、これに関して義勇は錆兎よりも男らしくさっさと認めて口に出していた。しかも案外聡いのだ。普段はおっとりしているし何かと世話をすることもあったが、義勇の男らしさは要所で出て来る。
 そういうところが好ましく、救われているような気がした。
「うん、わかった。ようやく勉強に身が入りそうだ」
「なら良かった」
 ありがとう、と口にしながら義勇の頭を乱暴に撫でた。少しばかりむすりと顰められた顔が錆兎に向けられた。

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