卒業式

「お前派手にとんでもねえことになってるなあ」
「宇髄には負ける」
 もはや何を着てきたのかもわからないほど、宇髄は制服の全てを女子生徒に奪われていた。記念だからと好き勝手にやらせていたら、第二ボタンどころかネクタイ、ベルト、果てはブレザーまで奪われ、ズボンに手を伸ばされた辺りでようやく逃げてきたらしい。カッターシャツのボタンも一部なくなってはだけている。
 対して義勇は何とか制服を死守したらしいのだが、もみくちゃにされてよれよれになっている。髪もボサボサで疲れきった顔をしていた。それでも誰にも何も奪われていないのはさすがと言うべきだろう。錆兎はボタンをむしり取られたものの、早々に離脱したので義勇ほどよれよれにはなっていないが。
「何というか、ちょっと殺気すら感じたな」
「卒業式なんて女子から色々盗られていく日だからな」
 宇髄ならばそうなのだろうが、中学の時はここまでではなかったはずだ。成長して力も強くなったということだろうか。自身も成長しているはずだが、火事場の何とやらにはさすがに逃げるほかなかった。全く侮れない。答えなど出そうもないことをつらつらと考えた。
「高校なんてつまんねえかと思ったけど、お前らといたら結構面白かったぜ」
「俺も楽しかった」
「案外謳歌したよな冨岡は。彼女までできちまうし」
 うんうんと頷く宇髄は三年間義勇と同じクラスになっていた。三年目のクラス発表は大層げんなりとしたらしいのだが、最終的には案外義勇の世話を焼くのが楽しくなっていたそうだ。義勇も構ってくる宇髄を嫌うことなどないのだから、意外に二人の相性は良かったように見える。
「何でそんな今日で終わりのような言い方を……宇髄は義勇と同じ大学だろう」
「それだよー! 何で大学までお前と一緒なんだよ! 俺に冨岡マスターにでもなれってことか!?」
 何故錆兎は違う大学なのかと逆に問いかけられるが、友情と学びたいものは別なのだから仕方ない。クラスが違っても今まで同じ学校にずっと通っていたわけなので、錆兎も少々寂しくはある。真菰は錆兎と同じ大学に行くのだが。
「お、」
 校門に見知った人影があることに気づき、向こうもこちらに気づいて手を振った。真菰が胡蝶と甘露寺と楽しげに会話をしている。
「わあっ、宇髄さん凄いことになってるのね」
「そりゃまあ学校一の色男だからな」
 少し離れた場所にいた女性三人が近寄ってくる。こちらに会釈をする三人は全員宇髄の彼女らしく、聞いた当初は目を剥いたものだが本人たちは楽しそうに仲良くやっているらしい。
「冨岡さんもぼろぼろじゃないですか」
「何も盗られてない」
「錆兎は盗られてたもんね」
「重要そうなのは死守したぞ。ブレザーだとネクタイを欲しがる女子が多いんだって聞いた」
 盗られないよう外していたネクタイをポケットから取り出す。へえ、と感心する真菰に差し出した。
「貰ってくれないか」
「え?」
「真菰が好きだ。ずっと好きだ。これからも俺と一緒にいて欲しい」
 唖然とした真菰は何も言わないまま固まった。ざわ、と近くにいた周りの生徒が反応したのが分かった。きゃあ、と声を潜めて歓声を上げる甘露寺が視界の端に映る。
 状況を理解したのか、真菰の頬がだんだんと色づいていった。
 断られても錆兎は構わなかった。傷つきはするだろうけど、真菰が友達のままが良いと言うならそのように振る舞うことも考えていた。錆兎は真菰が好きだと自覚したけれど、意識しているなんて他人の言葉は耳にしたこともあるけれど、本当は真菰がどう思っているかなんて分からなかったからだ。
 好かれている自覚はある。ひょっとしてと思うこともあった。だがその好意にどんな感情を伴っているのか確信が持てなかった。義勇に対する胡蝶の表情の変化はわかっても、こと真菰相手になると途端にボンクラになるようだった。
 そもそも錆兎はそういった色恋の諸々について詳しくないし、宇髄のように女子の扱いに手慣れているわけでもない。それでも口にしたのは、単に自分がはっきり伝えたかったのだ。
「この先真菰以外に好きになる女子なんていない。だが嫌ならはっきり断ってくれ」
 わなわなと唇が震え、真っ赤な顔のまま真菰は錆兎を見ていた。羞恥で涙が滲んでいるようにも見える。
「……信じらんない! こんな人の多いとこで言うの!?」
 差し出したネクタイを奪うようにして取り上げて真菰は叫んだ。人が多いか少ないかなど、錆兎にとってはどうでもいいのだが、真菰はそうではなかったようだ。
「なんで嫌なら断れなんて言ったの?」
「真菰の気持ちが分からなかったからだ。友達だけど友達以上に見られてるかというと自信がない」
「錆兎にも自信がない時あるんだね」
「そりゃあるよ。だって初めてだからな」
 唇を尖らせて取り上げたネクタイを弄びながら問いかけるので、錆兎は素直に答えていく。幼馴染なのにね、と呟いた真菰が顔を上げて錆兎を見た。
「断るのはやだ。私も錆兎と一緒が良い」
 ほんの少し泣きそうな顔をして真菰は口にした。その言葉に興味津々に見ていた周囲の生徒たちから拍手が上がる。成程確かに恥ずかしかった。
「天晴だな!」
「何故こんな往来でやるんだお前たちは。もっと恥じらいを持て」
「浮かれてんなァ」
 いつの間に来ていたのか、同級生の面々が声を掛けてくる。そわそわと見守っていたらしい宇髄や甘露寺も笑顔を向けていた。義勇はただ黙って錆兎と真菰を眺めている。
「義勇」
「良かったな」
 名を呼ぶと嬉しそうに笑みを見せた義勇に、錆兎と真菰は勢い良く抱きついた。


 ぎゅうぎゅうと抱き合っている三人を眺めながら、しのぶは眩しそうに眺めていた。
 冨岡がしのぶに向けて見せる笑顔はいつも柔らかいけれど、幼馴染と笑い合う時は子供のような顔をする。周りの生徒がざわついているのが分かった。
「冨岡先輩笑ってるの初めて見た」
「まじで三年生の目の保養たちがいなくなっちゃうのつらすぎない?」
 在校生だろう女子生徒たちが声を潜めて話している。
 周りの顔見知りを眺めると、どこもかしこも派手で目立つ。一見して一番地味なのが冨岡なくらいだ。日常的に見ていた彼らがいなくなるのは確かに寂しくなるだろう。友人のしでかすことに毎日飽きないと冨岡は笑っていたくらいだし、端から見るのも楽しかっただろうと思う。
 羨ましい。同じ学校ならばきっとすれ違うことだってあっただろう。体育祭だって堂々と見ていられるし、学年が違っても昼食を一緒に食べることだってできる。ひょっとして通常の授業だって見かけることができたかもしれない。友人と楽しそうにする冨岡の姿を。
 自分の通う女子校に不満はないけれど、冨岡と知り合ってからは周りを羨ましがることばかりだ。
「お前ら良い加減写真撮ろうぜ」
 微笑ましく見ていたはずの宇髄が声を掛けた。待ってるんだが、と甘露寺が持っているカメラを指した。既に伊黒とは二人で撮り終わっているらしく、彼の友人たちとの集合写真を撮りたいと言っていた。伊黒が教師らしき男性に声を掛けている。
「普段なら貴様らと写真など撮る発想にも至らんが、甘露寺の頼みならば幾らでも撮ろう。さっさと並べ」
 卒業式の看板を囲むように並び始める。周囲の生徒たちも便乗するようにレンズを向けていた。勝手にSNSに上げるようなことさえなければ構わないのだが、在学中の彼らはよほど人気があったのだろう。女子校とは違う熱気に押され気味だった。
「ありがとう! 皆にも後で送るわね」
「おう、頼むぜ」
 甘露寺といつ連絡先を交換したのかと詰め寄る伊黒を鬱陶しそうに躱しながら、宇髄はこの後のことを話し始める。悲鳴嶼の店を貸し切りにしてもらったと聞いた甘露寺が嬉しそうに飛び跳ねた。
「お前ら二人になりたいなら来なくて良いぞ」
「何でだ。俺たちも行くに決まってるだろう」
 お節介な気を利かせた宇髄の言葉に、錆兎と真菰は揃って頬を赤くした。だよなあ、と答えがわかっていたように笑って団体を先導して歩き出した。
 宇髄と志望校が同じだったと冨岡は言っていたが、無事二人とも合格していたらしい。正反対のように見える冨岡と宇髄の仲は良く、悪態をつきながらも宇髄は冨岡を構うことをやめない。学校では冨岡の三人目の保護者だとか翻訳者だとか、色々と言われていたというのを真菰から聞いたことがあった。
「冨岡さん。私ね、志望校を決めたんです。色々考えたんですけど、やっぱりここしかないと思って」
 偏差値、学びたいもの、通学距離。全部加味して考えていたら、一つの大学が浮かび上がった。そりゃあ羨ましくて憧れていたけれど、まさか目指すことになるとは思わなかった。
「冨岡さんの通う大学を目指します。学部は違いますけど。合格したら同じ学校に通えますね」
「……そうか」
 目を丸くして驚きながらも、冨岡は嬉しそうに笑った。

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