旅行の準備話

「伊黒さんと旅行に行くことになったの」
 つまみ上げた唐揚げが箸から滑り落ちた。恥じらいながら報告した甘露寺を唖然としながら凝視してしまい、しばらくしのぶは固まってしまった。
 旅行。半日遊びに行くのとは違う、言葉だけでも特別に感じる行事。しかも一泊するというではないか。その先のことを思い浮かべてしまい、しのぶは箸を置いて甘露寺へ声を掛けた。
「……ということは、その」
「わ、わからないけれど、あると思ったほうが良いわよね」
 両手を火照った頬に当てて困った顔をする甘露寺は可愛いけれど、話の内容は可愛いなんてものではなく、しのぶにとっては大人な内容だ。甘露寺につられて頬に熱が集まってくる。
 知識としては知っているし、いずれ自分にもそんなことがあるかもしれない、いやあるのだろうとは思っていた。しのぶは付き合って二年以上も経つ彼氏がいるのだが、びっくりするほど健全な交際を続けている。そういったことに疎かったしのぶは、甘露寺が伊黒と付き合い始めてから、彼女と二人で色々と調べたことがあった。世のカップルはいつどんなことをして過ごしているのか。その過程で旅行をする真意のようなものも知って、二人で頬を染めたことがあった。
「ど、どうしようしのぶちゃん。報告したら急に緊張してきちゃったわ」
「どうしようと言われても……はっ、甘露寺さん、服は買いましたか?」
「まだなの。しのぶちゃんについてきてもらえないかと思って」
「それは勿論。ふ、服だけですか?」
「………!」
 茹でダコのようになってしまった甘露寺が黙り込んだ。顔から湯気でも出そうなほどだ。正直しのぶも平静を保てていないのだが、甘露寺の照れ具合に少しだけ落ち着いてきた。
「あのね、……温泉に行くのよ」
「……きっとありますよね。可愛い下着が必要ですよね?」
「やめてー! 緊張して死にそう!」
 髪を振り乱して悶える甘露寺はとても可愛いけれど、如何せん女子校育ちで経験値の低い女子二人の想像上の会話である。知識人から話を聞きたいと思いはするのだが、こんなプライベートな内容を仲良くもない他人に聞かれたくはない。
「こういう時、宇髄さんのような女性が友達だったらと思いますね……」
「そうね、宇髄さん……あら。見てしのぶちゃん、あの人宇髄さんの彼女じゃないかしら」
 噂をすれば何とやら。宇髄本人ではないが関係者が食堂でトレーを持って席を探している。顔見知り程度の間柄ではあるが、彼女を見ていたしのぶたちに気づいて近寄ってきた。
「相席良いですか?」
「勿論! 宇髄さんは?」
「今日は休み。私一人なの」
 宇髄の三人の彼女のなかでも落ち着いた女性の雰囲気を持っている雛鶴だ。
 旅行に何が必要なのかを聞けば、こっそり教えてくれるかもしれない。しのぶは甘露寺をちらりと見ると、甘露寺も同じことを考えていたのか真剣な顔で頷いた。
「雛鶴さん、その……宇髄さんと旅行に行ったことってあります?」
「え? それはまあ」
 突然の話題に面食らいつつも雛鶴は答えてくれた。顔見知りの経験者がここにいる。
「あの! か、彼氏との旅行って何を準備すれば良いのかしら!?」
 甘露寺の質問に合点がいったようで、雛鶴は微笑んで大きく頷いた。まるで微笑ましいものを見るかのような優しい目をしている。
「服は今度しのぶちゃんと買いに行こうって決めたんだけど、その、し、下着とか、他に必要なものって何かなって思って。私たちあんまりこういうこと知らなくて」
 歯ブラシや化粧水など、家族旅行でも必要なものは一通り持っていくつもりだと甘露寺は伝えた。服や下着は新調する予定である。後はムダ毛も念入りに処理していくと口にした。
「なら、後は当日まで肌の手入れは入念にね」
 ムダ毛処理のことではなく、その後の保湿のことだそうだ。しのぶたちの期待のような不安のような気持ちが向けられるあの行為があるにせよないにせよ、普段と違う装いで過ごす時間は長い。急に手を触られてカサカサだったりしたらがっかりさせるかもしれない。あまり心配はなさそうだけど、と甘露寺の頬に手を触れながら雛鶴は言った。
「一応そういう行為に向けたフレグランスもあるにはあるけど、あれは片想いとかマンネリカップル向けだしね。あなたたちなら小細工しないほうがお相手も嬉しいと思うわ」
 所謂その気にさせる香水があるらしいのだが、雛鶴は薦めることはなかった。正直言って気になって仕方ないのだが、雛鶴が言うのなら使わないほうが良いのだろう。彼女は宇髄の友人であるしのぶと甘露寺の彼氏を知っているわけだし。
「わかったわ。お手入れを頑張れば良いのね」
「それからシェーバーがあると安心だと思うわ」
 剃り残しがあった時の保険として持っていれば安心できる。成程、としのぶも頷いた。いや行く予定はないのだが。
「ああ、お手洗いが気になる時は消臭スプレーもね」
 こんなものかしら、と雛鶴が天井を仰いだ。スマートフォンのメモを眺めながら甘露寺は感心したように声を漏らした。
「あ、ありがとう雛鶴さん! 恥ずかしいけれどきちんと準備するわ」
「ええ、頑張ってね」

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