蝶屋敷医院・了

「そういや切腹なんて話もあったな。いや全く、生きてて何よりだよ」
 肩を叩いて宇髄が部屋を出ていき、残された義勇の元へ桶を持ったしのぶが現れた。
 鬼舞辻無惨との戦闘を経て、鬼殺隊の隊士たちを治療し介抱し、手厚く葬ってくれた蝶屋敷の住人たち。起きない間に魘されていた義勇たちに甲斐甲斐しく声をかけてくれたのも彼女たちだった。全くいたれりつくせりで頭が上がらない。しのぶに頭が上がったことなど義勇にはなかった気がするが。
「切腹?」
 聞こえていたらしく、宇髄が口にしていった言葉をしのぶが問いかけるように呟いた。少し目を逸らした義勇は曖昧に頷いた。
「ふうん。まあ良いです、過ぎたことのようですから。……でも、私に黙っているなんて酷いですね」
「言ったら怒られるかと」
「そりゃね。どうせ炭治郎くんと禰豆子さんの件だったんでしょう。会った当時に聞いていたら怒り狂って暴れたでしょうし」
 目に浮かぶようだ。義勇の屋敷に鬼がいると聞きつけた時も暴れはしなかったが最初は怒っていたし、鬼が義勇のそばにいることを嫌がっていた。禰豆子を知らなければそういう反応になるのも仕方ないとは思っているが。
「悪かった」
「言わなかったこと、悪いとは思ってるんですね。まあでもそれならお詫びに一つ言うことを聞いてください」
 今の義勇は療養中で外を出歩くことも許されていない。義勇にできることなど限られているが、さて何を言ってくるのか。しのぶの口から紡がれる言葉に義勇は固まった。
「結婚してください、私と」
「………、え」
「私と結婚してください」
「いや、繰り返さなくて良いんだが……」
 時間が止まったかのような錯覚を抱いたものの、一先ず言葉を返すことはした義勇だが、とんでもないことを言われているとようやく理解した。
 何の遊びかと眉根を寄せてしのぶを見ると、気にした様子もなくにこやかな笑みが義勇を見ていた。
「聞こえなかったかと。返事は?」
「……無理だ」
「はいはい、成程。わかりました。言うこと聞くって話なのに全く」
 言う内容が何なのかを聞いただけで了承したわけではないのに、義勇が断ってもやっぱり笑みは崩さなかった。大体成程とは何だ。
「何がわかったんだ」
「あら、無意識ですか? それはそれは。義勇さんが私との結婚を嫌がってないことですよ」
 しのぶの笑みを見つめたまま義勇はまたも固まった。
 それはそうだ、義勇がしのぶと一緒にいられることを嫌がるはずなどない。死ぬまでそばにいてくれるのならこれ以上のものはないとずっと思っていたのだから。だが義勇は残り少ない余命が見えていて、この先はもう死を待つだけの余生である。それにしのぶを付き合わせるなど考えてもいなかった。
「言わなかっただけで嫌かもしれないだろう」
「いいえ、義勇さんのことはもう嫌というほどわかってますから。目は口ほどに物を言うっていうでしょう」
 人は咄嗟の態度が本音を滲み出す。しのぶには義勇の目が本心を訴えたように見えたらしい。面食らっただけだったのにどういうことだろうか。
「ほら! どうせ色々考えて無理って言ってるだけでしょう。もうね、私が馬鹿でした本当に。鈍い自分が嫌になりました。今ならわかります、あなたがずーっと私を好きだったこと。ねえ、図星でしょう? ねえねえ」
 言うつもりのない言葉を問いかけられ、義勇は非常に困惑した。
 別にしのぶに義勇の気持ちがばれていようと構いはしないのだが、良い家柄の縁談は積もるほどあるだろうし、そこに割り込むつもりは毛頭ない。というかわざわざ義勇に言ってくるしのぶがおかしいのだ。
「ちょっと、答えてくださいよ」
「………」
「黙りですか、ふうん。とりあえず言うこと聞いてくださいよ」
「いや、無理」


「ええ……今更何言ってんだあいつら」
「んふふ」
 呆れ果てた顔をした不死川と、顔を覆って肩を震わせるカナエを眺め、宇髄もまた顔を歪めて呟いた。
 冨岡が蝶屋敷の次女を好いている。そんなこと周りは言われなくとも思い知っていたはずだが、しのぶは自分を馬鹿だったと言っていた。あれで気づかないお前は本当に馬鹿だと宇髄は思ったが、自覚したらしいのでまあましにはなるだろう。
「まあ、あとは冨岡口説き落とすだけみたいだな」
「一番面倒そうなとこ残ったなァ……」
「ふん、まあ思うところはあるだろうが、大丈夫じゃねえ? 頑張れよお前らも」
 不死川とカナエの肩を叩くと、顔を見合わせた二人はすぐに目を逸らした。こちらはこちらで初々しいことだ。不死川も口説き落とすのに苦労はするだろうが。

*

蝶屋敷内で攻防が始まったのが少し前。この間いつ陥落するのかと宇髄に問われ、思い切り知れ渡っていることに気づいた。
 良く考えれば大っぴらに話していたので知られているのはおかしくないのだが、どうにも視線を感じて居心地が悪かった。それもこれも全て義勇の病室で繰り広げるしのぶの行動が原因である。今日もまた一段と酷い有様だった。
「おそばに置いてください」
「駄目だ」
 義勇の一言に不満を顕にしたしのぶが眉根を寄せた。
 そんな顔をしても可愛いだけなのだが、それはそれとして受け入れることはできない。開け放した戸を閉めたくてかなわない。思いきり廊下から宇髄と何故か吾妻が覗き込んでいた。
「そうですか。じゃあひと晩の関係でも構いません」
 目を剥いて思わず義勇の入院着を掴むしのぶの手を外そうとした手を蝿叩きで突然叩かれ、油断していた義勇はつい痛みに声を漏らしてしまった。
「あらあら、呼吸がなければ水柱様とて人の子のようですね。これでは心配です、ついててあげますよ」
「ひえ、怖……」
「……要らない」
「派手にやべえ奴に目つけられたな」
 複雑な顔をしている吾妻と楽しげな宇髄を睨みつけると、吾妻が短く悲鳴を上げて顔を引っ込めた。宇髄も入り口から見えなくなったが、どうやら廊下にはまだいるらしい。見ていても面白くないはずなのに、妙に気にかけてくるのは何なのだろうか。
「結婚は無理だ。すぐ死ぬからな」
「そうですかね。じゃあ死ぬまでで良いです。お願い」
 頑な過ぎるといわれても、こればかりは譲れなかった。とはいえしのぶも義勇同様に頑固である。どこまでいっても互いの意見が平行線なのは変わらない。輝利哉や鱗滝に頼んでしのぶに縁談でも組んでもらおうかと考え始めていた。
「では実力行使します。観念してくださいね」
 敷布を頭から被せられ、視界を塞がれた義勇は目を丸くした。廊下から悲鳴なのか歓声なのかわからない声が聞こえ、布の上から重みを感じた。しのぶが抱き着いて拘束しようとしているのだろうが、怪我が完治してなかろうと片腕がなかろうと、柱として生きていた義勇である。先程の蝿叩きは完全に油断していただけだと誰も聞いていない心中で言い訳をした。
「……はあ、やっぱり敵いませんか」
 寝台の上に敷布で簀巻にしたしのぶを乗せ、義勇は端に腰掛けて見下ろした。弱っている今ならいけると思ったのに、と不満げに唇を尖らせているが、力比べでしのぶに負けるわけにはいかない。一応義勇も男であるので。
「駄目だ」
「何でそんな頑ななんでしょうね。私のこと好きなくせに」
 それは間違いなくそうなのだが、だからこそということをしのぶには理解してほしい。寝台で蠢いている簀巻の頭を撫で、義勇は小さく口を開いた。
「……お前、俺が死んだら悲しむだろう」
「はい?」
「悲しんでくれるのは有難いが、先行きのない俺にかける時間が勿体ない。だから夫婦にはならない」
「……夫婦にならなくても悲しみますけど。じゃあひと晩は?」
「はしたないぞ」
 どこでそんなわけのわからないことを覚えてきたのかと逆に気になってしまうが、人の多い蝶屋敷でここまで開けっぴろげなのが恐ろしい。以前までは普通の少し気の強い娘だったはずなのに、聡明さと慎みはどこにいったというのだろう。
「でもね義勇さん。私このままだと一生独り身貫きますよ、義勇さんのせいで」
「え……何で」
 引く手数多なのだから、しのぶが独り身のまま放っておかれることは絶対にないはずだ。眉を顰めてしのぶへ目を向けると、呆れたような目が義勇を見つめた。
「ええ……自覚ないんですか? あなた最初から私に優しかったでしょう。私以外の女に触れたり会いに行ったりしました? 特別扱いですよ、勘違いもします」
「……勘違いしたのか?」
「ま、まあ最近までわからなかったですけど」
 ほら見ろ。しのぶの天然さと鈍さは筋金入りだ。義勇が触れて勘違いするような普通の感性はしのぶにはない。しのぶは義勇には言われたくないとぷんすかしているが。
「うるさいです。とにかく気づいたんです。そしたら義勇さん以外の殿方なんてじゃがいもにしか見えなくなりました。私にじゃがいもと結婚しろというんですか?」
「え? ……いや、」
「そりゃ嫌ですよ、じゃがいもですもの。食べるものであって結婚するものではありません」
「………、確かに?」
「何でやり込められてんだそれで?」
 廊下から宇髄に茶々を入れられしのぶが邪魔をするなと窘めるように口にした。確かに何故覗いているのか義勇も疑問だ。戸が開いているとはいえ見世物ではないのだが。
「まあ良いです、納得しました?」
「……生き残った者は骨のある者ばかりだし、じゃがいも以外もいるだろう」
「苦労してんなあ」
 大きな溜息を吐いたしのぶに対して言ったのだろう、労るような声音で宇髄が呟いてようやく部屋から離れていった。
 苦労しているのは義勇もだ。何を言っても引き下がらないしのぶを納得させることに苦労している。
「本当にね。私が他の方と結婚したらそれはそれで嫌なくせに」
「……そうでもない」
「悋気起こしてました。花一輪貰ったら不機嫌になってたでしょう。ふふん、知ってるんですから」
 成程、ばれていたらしい。それはそれとして指摘されると少々居心地が悪く、義勇は勝ち誇った笑みを見せたしのぶをじとりと睨んだ。少しも堪えた様子はなく、今度は義勇が大きな溜息を吐いた。
「そんなことされて夫婦にならないは筋が通りませんよ。そんなに嫌なら妹にしか見えないとでも言って拒絶すれば良いのに、一度も言わないし」
「妹として見たことはないからな」
「……そういうところが駄目なんです、義勇さんは。本気で断りたいなら方便も必要なのに、実直過ぎて酷いです。諦めきれないのは義勇さんのせいですから。今だって頭撫でて、年頃の女に触れてくるの、それもしかして無意識ですか」
 指摘に固まった義勇は静かにしのぶの頭から手を引いた。
 無意識というか、つい、というか。ほんのりと頬を染めたしのぶが義勇を見上げてくるので、やってしまったことを反省した。
「良いんですけどね、義勇さんなら」
 そうやってしのぶが許すから、成長したのだからと触れないようにしようと思っても駄目なのだ。
 再会した当初こそ、子供の頃の延長のような気分で触れたりしてしまったこともあった。だがその後は軽々しく触れないようにしていたつもりだったのだが、まあ色々あって何度か触れてしまっていたことは反省もしている。何せ愛おしいと思うしのぶがわざわざ義勇に会いに来たり、頬を染めたり一喜一憂する様子を見せるのだ。可愛くて仕方ないし触れたくて仕方なかった。
 それが駄目だった。だからこんな恥も外聞も慎みもなく求婚してくる娘になってしまった。義勇のせいと言うのなら、確かにそうなのだろう。その事実すら嬉しいと感じるものではあったが、痣者となった義勇が諸手を挙げて受け入れるには、やはり大きな問題が立ち塞がっていた。

*

「行ってらっしゃい、しのぶ姉さん。私たち頑張りますから」
「ありがとう、カナヲ、アオイ」
「白無垢姿見られますかね」
「さあ、私はただの押しかけ女房ですから。着られなくても構いません。——では、行ってきます」
 荷物を積み込み、後藤の運転する車に乗り込んだしのぶは発車を促した。
 全く何も話は纏まっていないが、そんなことは今更もうどうでも良い。退院した義勇を追いかけるべくしのぶは押しかけることを決めていたし、義勇が頷かないのも百も承知だ。
 鬼狩りとしての責務が終わればしのぶは義勇を一人にするつもりはなく、それは夫婦にならなくてもそのつもりだった。
 錆兎が死んでから、しのぶが生きていることを救いとしていた義勇を一人にはさせない。置いていかれた義勇の最期をしのぶが看取り見送るのだ。それだけは譲れなかった。
「ええと、大丈夫なんですか? 冨岡様は結局了承してませんよね」
 運転席の後藤は恐る恐るといったように問いかけて来たが、しのぶは笑みを向けて頷いた。
「どうせ押しに弱いので絆されてくれます。退路がなければ腹を括る。括ったら早いですよ、柱ですから」
「そうですかね……押し強いっすね」
「強くないとあの唐変木に付き合ってられませんから」
「ははは……唐変木ですか」
 義勇がああだから、しのぶも自覚している気の強さがあれば案外相性は悪くないはずだ。今までがそうだったのだから間違いない。たぶん。
 喧嘩も怒鳴り合いもするかもしれないが、それもまた夫婦の日常のやり取りだろう。そう考えると悪くない。どうせもう義勇がしのぶを一等大事に想っていることはわかっているのだ。強引にいかねばあの男は怖気づいて逃げる。だからしのぶはこうして押しかけることを決めた。柱だったくせに、全く。
 義勇の屋敷の前に車をつけた後藤には、下ろした荷物を玄関先に置いてもらって走り去って行くのを見送った。
 ここから先はしのぶも退路がない。蝶屋敷に戻る気はなく、拒絶されれば野宿である。義勇がそんな状況にしのぶを置くとは露ほども思っていない。押しかけてきたしのぶを無下にはしないことを知っている。
 少しばかり狡い気もするが、散々断られたことに対しての意趣返しでもある。困らせるのも吝かではない。どうせ内心は嬉しいくせに。
「……何だ、その荷物」
「嫁入り道具です」
 玄関先から声をかけると顔を出した義勇が、置いてある荷物を見て眉を顰めた。その反応も想定内である。
「許可してない」
「許可だなんて、私はあなたの部下ではありませんよ」
 笑みを浮かべたしのぶとは対照的に、口篭った義勇は眉を顰めた。
「嫁ぎに来たんです」
「離縁する」
「まあ。まだ結婚してませんよ、気が早いですね」
 口下手な義勇がしのぶとの問答で勝てた試しなどない。勝手にどんどん追い詰められたような表情を見せていく義勇に、しのぶもとどめとばかりに言葉を投げた。
「離縁なんてしません。最期まで一緒にいさせてください。帰るところはもうないんです、あなたのために生きさせてください」
 揺れた目を伏せて額を押さえた義勇は引き戸に体を預け、大きな溜息を吐いて項垂れた。
 上背のある義勇が俯くと目の前にいるしのぶには表情が良く見える。困ったように眉尻を下げて、複雑な表情を浮かべていた。言いたいことは色々あるのだろうが、それを言葉にすることが著しく下手くそな義勇は、何を言おうか悩んでいるのかもしれない。
「諦めました? 逃げようたってそうはいきませんよ。年頃の娘に触れてきたのはあなたです」
「……すまなかった。忘れてくれ」
「残念ながら、忘れたくても忘れられないんですよ。頻度が少なかったから余計に緊張して、恥ずかしくてどきどきして。……嬉しかった。あなた以外に触れられたくない」
 しのぶの言葉が届いたようで、瞼を上げた義勇は驚いたように見つめた。何を今更驚いているのかは知らないが、心に届いたのなら何でも良い。
 目は口ほどに物を言う。表情は困惑していても、義勇の目の奥にはしかと喜びが波打っているのをしのぶは見たのだ。
「一人にしないと決めたんです。何を言われてもあなたのそばにいます」
 やがて顔を上げた義勇は小さく笑みを見せ、玄関先に置いていたしのぶの荷物に手を伸ばした。

「白無垢が見たいとも言われましたが、そんな準備をする時間も惜しいですからね。婚儀擬きでもしましょうか」
 式よりも義勇と過ごす時間が欲しい。まあそれでも人並みに祝言というものに多少の憧れを持っていたこともある。ちょうど荷物から白い敷布が見え、しのぶは引っ張り出して広げた。
「ちょうど白いから代わりになりますよ、ね」
 頭から被って笑みを向けると、義勇は眩しそうに目を細めてしのぶを眺めた。
 ああ、でも。しのぶは祝言をどうしても挙げたいというわけではないが、もしかしたら義勇は思うところがあるかもしれない。なし崩しにしのぶを受け入れた義勇だが、彼の姉は祝言の前日に命を落としたのだった。したいと言うことはなさそうだが、本音があるならそれも従おうと思っている。義勇がしたいと思うことを叶えてやりたかった。
「……お前は、何しても綺麗だな」
 提案しようとした矢先、義勇は嬉しいことを口にした。
 それはそれは。しのぶの姿に見惚れでもしたのかもしれない。敷布で口元を隠して含み笑いをしながらしのぶは口を開いた。
「私が綺麗に見えるなら、それは義勇さんがそばにいるからですよ。あなたが私を見てくれたら、それだけで綺麗になれます」
「……これ以上?」
 敷布に隠したままついに吹き出してしまい、しのぶは声を出して笑った。
 本当に、知っていても伝えられると嬉しいものだ。そんなふうに想っていたことを一度も義勇は口にしなかった。
「嫌なんですか。女房が綺麗なら自慢になりませんか」
「これ以上はちょっと」
「欲がありませんねえ。惚れ込ませたいんですけど」
「充分惚れ込んでるから」
 ようやく伝えてくれた言葉がしのぶの頬を熱くさせた。
 よくもしのぶの気持ちを断り続けてくれたものだ。そこまで言うなら最期まで惚れ込んで自分のそばに置いてくれれば良いものを、寿命が見えた途端に突き放そうとした。
 ずっとわからなかった義勇の気持ちに恨みがましく文句を言えば、諦めたのか開き直ったのか、腹を括ったらしい義勇は素直に認めた。紆余曲折の攻防を経てようやくしのぶを受け入れた義勇の手を握り、しのぶは口を開いた。
「子を作りましょう、義勇さん。夫婦になるんですから」
 目を剥いた義勇が狼狽えて慌てたように視線を彷徨わせ、困惑して眉根を寄せた。しのぶを受け入れても子を作ることは想定していなかったのだろうが、しのぶが触れた手が柔く握り返してくる。
「……痣者というのは、二十五までに例外なく死ぬ。これは二十五までは生きられるという意味じゃない」
 明日死ぬかもしれない、今晩死ぬかもしれない。残すことをわかっているのに更に子を残すなどできようもない。しのぶの苦労は計り知れないだろうと義勇は言う。
 全て承知でここに来たのだ。義勇との時間を過ごせるのなら、その後の苦労など大したことではない。しのぶは確かに看取ることを覚悟してきたが、それは。
「何言ってるんです、あなた何年柱でいました?」
「………。四年と、」
「まあ長い。そんなに生き残ってきたんですね。私との約束も守ってくれました。生きて帰ってくる努力をしてくれた。寿命の前借りは確かに強力なものかもしれませんけど、あなたはこうして帰ってきてくれました。……約束してください。私は痣の代償を少しでも延ばす努力をします」
 笑って見送る努力もする。義勇が二十五までに死んでしまおうと、恨みも怒りもしない。それはそもそも鬼の殲滅を達成した隊士の誇りでもあろう。義勇の死は悲しみはするだろうが、頑張り続けた義勇が安らかに休める時が訪れるだけだ。早くても遅くても。
「……わかった。生きる努力をしよう」
「……はい。長生きする予定立ててくださいね」
 幸せを感じる時間を、しのぶは精一杯義勇に与える努力をする。義勇はそれを長く感じられるよう努力をする。そうしていればきっと、いつ別れが来ても悔いはない。
「……お前には敵わない」
「勝てると思ったことありました?」
 柔らかい笑みをしのぶへ向けた義勇は、問いかけた言葉に首を横に振った。
 友を失って泣いていても、愛想がなくなっても怒っても、笑っていても。どんな顔をしていても目を奪われていた。義勇がしのぶを綺麗だと思うように、しのぶもまた義勇の姿が一等眩しく見えていた。
 鬼を狩り傷つき、人を助けるその姿は泥臭くても格好良いのだ。しのぶが出会った優しい少年は、色んな現実に打ちのめされて心を傷つけていたけれど、悪鬼滅殺を果たした世に出ることのない英雄の一人になっていた。
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