和衷

「うわああっ!」
 大きな叫び声とともに、これまた大きな衝突音が辺りに響きわたった。
「大丈夫かい、天化? 駄目だよ、大きな音を出しちゃあ」
「で、でも、いきなり岩を投げてくるコーチが悪いさ!」
「……何事じゃ」
 大きな音を聞きつけて顔を見せた主に、天化はごめんなさい! と勢いよく頭を下げた。

「修業を兼ねながらの庭作業でもしようかと思って……」
「だからといって不意打ちで岩を投げるな。天化が怪我をしたら元も子もない。それに、洞府が壊れるじゃろう」
「ごめんよ、公主」
 小さくなって謝る道徳真君の姿は、天化にとって初めて見るものだった。
 まるで親兄弟に悪戯が見つかり、お叱りを受けているようだと、こっそりと天化は笑いを堪えた。
「きみは天化に甘いなあ。これくらい、いつもやっているよ」
「青峰山ではそうかも知れんが、此処はおぬしの処より狭いのじゃ。このような庭の復旧に長くかけて、充分に修業をさせてやれぬだろう」
「そんなことないよ。私も天化もちゃんと修業はいつも通りやってるから。公主は気にしなくていいんだよ」
「では此処で修業しなくてもよかろう。茶を淹れたから、二人とも手を洗って来るといい。……風呂を貸そうか」
 ばたばたと手を洗いに走っていった二人を見送って、公主は呆れたように溜息を吐いた後、おかしそうに笑いを零した。

「いただきます!」
 公主の弟子が作ったという桃まんを頬張りながら、天化はちらりと庭を見た。
 不注意で突っ込んだ竜吉公主の洞府の庭。思わぬ衝撃で見るも無残な姿へと変貌してしまったが、当時よりは元に戻って来ているように思う。しかし、道徳の修行という名の邪魔が度々入り、思ったように修復できていないのも事実だった。
「上手くいかねえさ。元通りにするのって、難しいな」
「元通りにする必要などないぞ。天化の好きなようにすればいい」
 呟いた天化の言葉に公主は答えた。でも、と天化は咀嚼していた桃まんを飲みこんで、公主を見つめる。
 確かに、初めて此処に来た時は既に、荒れ果てた地と化していた。元々の状態を知らないまま修復を願い出たのだが、道徳に聞いて何とか似せるつもりでいたのだ。しかし公主はそんなことはしなくてもいいと言う。
「天化が庭を作ってくれるのだから、私はそれでいいのじゃ。元通りよりも、見るたびに天化を思い出させるような庭になればいいと思っている」
 妬けるなあ、とからかうような道徳の声が上がり、天化は余計に委縮するように俯いた。
「そんなこと言ったら、きっととんでもない庭になるさ。絶対、前の方が綺麗なのに」
「同じでは面白くないではないか。天化にしか作れない庭が良い」
 微笑んで言った公主の言葉に、むむ、と天化の眉間にしわが寄る。
「公主の庭に天化の面影かあ。確かに面白そうだね」
「そうじゃろう」
 同意した道徳に公主は嬉しそうに笑みを向ける。あまりにも嬉しそうな公主の様子に、天化は責任が重い、と少しだけげんなりした。


「公主の好きそうな庭?」
 十二仙のなかでも比較的交流のある太乙が青峰山へ顔を出した時、天化は話を聞いてみることにした。
「庭は公主が一人で作ったものだから、あの時の庭が好きな感じだと思うけど……、ああそうか、見たことがないんだったね」
「でも、似せなくていいって言うんさ。俺っちの好きなようにしていいって。難しくて」
 随分気に入られたんだねえ、と太乙から声が飛ぶ。
「それなら、本当に天化くんのセンスでやってみるしかないね。同じようにしてもその様子だと公主はあまり喜ばないんじゃない?」
 天化が直してくれるのだから、嬉しいとは思うけど。そう言った太乙の顔を眺めて、天化はふうと息を吐いた。
「俺っち、庭仕事なんてやったことないから、どこに何があれば綺麗にできるか、よくわかんねえさ」
「ううん。私もそういうのは詳しくないからなあ。……あ、玉鼎に聞いてみるのはどうだろう? 結構細々した作業好きだし」
「玉鼎さん……」
「この後寄るから、一緒に行くかい? 公主と仲良いから、アドバイスくれるかも知れないよ」
「……行く」
 ほとんど話したことのない長髪の仙人を思い浮かべ、天化は藁にも縋る思いで頷いた。

「……ああ。きみが黄天化か。道徳が自慢していたよ。公主も嬉しそうに話していた」
「公主さんが?」
「庭を口実にしてしまったが、遊びに来てくれて嬉しいと」
 穏やかな仙人はそう言って天化へ椅子を勧めた。公主も穏やかな人だと思っていたのだが、目の前の男性も優しそうな人だと天化は思う。
「天化は真っ直ぐで良い子だと。道徳が羨ましいとも言っていた」
 褒めちぎられて天化は照れたように頭を掻いた。
「庭作業が進まないさ。好きなようにって言ってくれたけど、どうしたら綺麗にできるかな」
「……確かに、好きなようにと言われても気に入ってくれなければ意味がないからな」
 優美に微笑む麗人の姿を思い浮かべ、玉鼎は少し困ったように呟いた。
 本当に好きなようにすれば、どうなっても公主は喜ぶだろうが、とはこの場にいる二人の成人男性の見解だ。
「では、公主に似合いそうな庭を作ればいい」
「似合いそうな……」
 考え込むように天化は一点を見つめた。確かに、それなら何とかイメージは湧きそうだ。
「それならわかりそうさ。ありがとう、玉鼎さん!」
 しばしの間があり天化は元気に声を上げた。良かった、と微笑んだ玉鼎にもう一度礼を言って、太乙に挨拶をして、一人洞府を飛び出した。
「いやあ、助かったよ。私にもよくわからないからね。元に戻すことならできそうだけど」
「公主も難問をぶつけるものだな。悪気はないだろうが」
 けれど、今の様子なら、きっと天化も公主も、満足のいくものが出来上がるだろうと玉鼎は確信した。
「公主が気に入るのがわかったよ。素直な子だな、天化は」
「そうだね。羨ましいな、ほんのちょっとだけ」
 庭ができたら、皆で遊びに行こう。そう太乙は玉鼎に持ちかけ、仕上がりを楽しみにすることにした。


「あれ? どうしたの、この簾は」
 顔を見に寄ったという普賢が以前はなかった簾に気が付き、鳳凰山の主である竜吉公主に問いかけた。
「これか。出来上がるまで庭を見るなとのお達しじゃ」
「ああ。天化くんだね。少しも見ちゃいけないの?」
「覗いたらすぐわかるように太乙が妙な代物をつけていった」
 太乙が……、と微笑みを湛えた普賢の表情が苦笑いに変わる。随分厳重だねと言えば、少し拗ねたような声音が公主から漏れてきた。
「そんなことをしなくとも、見ない。私は信用されておらぬようじゃ」
「驚かせたいんだよ」
 わかっておるが……、とまだ納得していそうにない表情を見せて、公主はカップに口をつける。親しい友人でなければ彼女のこんな様子は見られない。
「でも、楽しみだね。天化くん、頑張っているんでしょう」
「うむ。声を掛けなければずっと外にいる。この間など、体じゅう土だらけだったのじゃ」
 道徳も最近では庭への侵入を拒まれ、少し寂しそうに音を立てて茶を啜っていたという。その様子が容易に想像できてしまい、普賢は笑い声を上げた。
「こんにちは! あ、普賢さん!」
「こんにちは、天化くん」
「良く来たな、天化」
 噂をすれば影。工事現場にいそうな格好で天化が洞府へと顔を出した。今日で終わるから! と挨拶もそこそこに庭へと直行して行った。
「ようやくだね、この簾が取れるのは」
「そうじゃな、楽しみじゃ」
「やあ、公主。……あ、普賢も来ていたのか。久しぶり」
 道徳が後から顔を出し、二人で囲んでいたテーブルにつく。
「やっと見せられるって楽しそうにしていたよ。私も見ていないから、気になっていたんだ」
「拒まれたんだっけ。徹底してるよね」
 そうなんだよ! とテーブルに突っ伏して道徳は大きな声を出した。まあまあ、と普賢はあまり感情の籠らない声で道徳を慰める。その様子を、楽しげに公主は見つめていた。
「しかし、遊びに来てくれるのも今日で終わりと思うと……寂しいのう」
「あれ、天化も少し寂しそうにしていたよ。用がなくても遊びに来るよう言おうか」
「修行の邪魔はこれ以上したくはない。道徳にも迷惑をかけたしのう」
 迷惑ではないのに……と小さく呟いた道徳の言葉は、公主には聞こえなかったが、普賢にはばっちりと聞こえていたようだった。
「望ちゃんも僕も、結構頻繁に来ている方だと思ったけど。それに、公主も忙しいんじゃない?」
「特別なことをしているわけではないから。弟子たちも皆が来るのを楽しみにしているようじゃ」
 気軽に外出できる体だったなら、恐らく公主は外にいる時間の方が長いくらいアウトドア派になっていそうだと普賢は想像する。太公望と同じくらい、様々な悪戯をして誰かを困らせている姿も想像できてしまい、気付かれぬように苦笑いした。
「天化も最初は必死に庭を作りなおそうとだけ考えていたようだけど、最近は楽しそうにしているからね。きっときみに会えるのを楽しみに此処に来ているんだと思うよ」
「そうだと嬉しいのだが」
 道徳の言葉に微笑んで、公主は簾へ目をやった。細工をした太乙を恨めしく思うものの、その先にいる天化を思って彼女の口元は弧を描いた。

「公主さん! できたさ」
 しばらくして簾の奥から顔を出した天化が公主へ声をかけた。わあ、と声を出した普賢につられるように、公主も目を輝かせて天化を見つめた。
「ちょっと、歪だけど、頑張ったさ」
 簾を引っ張り下ろし、天化は鼻を擦った。目の前に広がる洞府の庭は、以前とは違うものの、綺麗に咲いた花々が植えられていた。
「これは……」
 公主に似合うようにと作られた庭。おお、と感嘆の声が道徳と普賢から上がり、天化は照れたように庭へと顔を向けた。
「俺っち、好きなようにって言われてもわからなくて。だから、公主さんが気に入ってくれそうな感じにしたさ」
「すごいね、天化くん。とっても公主に似合うよ」
「そうだな。好きそうな景色だ。公主、どうだい?」
 呆けたように庭を見つめる公主を、天化は顔色を探るように窺い見る。不安に揺れた天化の目に、公主の満面の笑みが映った。
「素晴らしい庭じゃ。ありがとう、天化」
 泥のついた天化の頬をその手で拭い、ありがとう、ともう一度公主は口にした。その言葉に、天化も満開の笑顔で応えた。
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